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悩む

外食をしていて、メニューを選ぶとき、なかなか決まらない。それを人は悩んでいるという。

この「悩む」ということはなんだろう?とメニューを開きながら考えていた。決められないことが悩むなのか、悩むというのはもっと内面的で苦痛がともなったものじゃないのかと思った。

食事というご褒美を目の前にして、決められない。この贅沢を悩みということを不思議に感じる。食事という楽しいはずの時間が、おおげさな言い方をすれば苦しみを伴っているのだ。食事(快楽)の前に、悩む(苦痛)が生じることに、悲しみを覚えた。

そして「なぜ悩んでいるのか?」という問いに対して明確に言語化できない自分に対して、なんと感覚的なんだろうと驚いた。

こっちもいいけど、こっちもいい。選べるという自由さが、大変だった。

ここでまた別の話を思い出した。

クローズド・クエスチョンの話だ。「紅茶がいいですか?コーヒーがいいですか?」と聞かれると、与えられた選択肢から人は選ぼうとする性質があるらしい。一見選択肢があって良いように見えるが、頼まないという選択肢が隠されてしまっている。よく話術の文脈で語られるものだ。

受け手は、いつのまにか選択肢の内部という制約を与えられてしまっている。そして選択を決定することも要求される。そこには前述した悩みが生じる。考えてみると、なかなかに恐ろしいことが行われているような感じがして、ゾワッとした。

選択肢が選べない、悩むというときは、自分の規則が決まっていないときだと気づく。こういうときは、こう!という決まりがないのだ。