駄文をつらねるウェブログ

駄文・乱文・残滓

認識の歪みと失敗。兆候の見過ごし。

また、ずれてきた。一度は取り戻したはずのモノ。しっかりと手に掴んだと思ったのに。するりと私の手をすり抜けて、私をあざ笑う。ケラケラと「また取り逃がしたね」と笑う。

やった!ついに手に入れた!と喜びにかまけて気が付かなかった。違和に気づいたときには、すでに遅い。兆候は静かに進んでいた。ちょっとデータが不審な動きを見せたときには、「ん? これは何だ?」と問うべきだったのだ。「まあ、この程度の微妙な動きは前にもあったな」と高をくくるのではなく。油断が失敗を招く。これもまた希望的観測が招いた結末だ。

希望的観測は認知バイアスだ。「こうであるはず」「こうだったらいいな」という願望が認識を歪める。データは蓄積しかしない。解釈というフェーズで人間側のバイアスが働く。「きっとこうだ」と思い込む。

バイアスとは、余計なお世話なのだ。今日もまたおせっかいをした。「提出書類揃えたほうがいいだろう」という勝手な思い込みによって、そして「この書類は保存したい人がいるから、別書類にしよう」と訳の分からない(論理的じゃない)行動をした。

そう、また私の脳が勝手に創りだした幻想。架空の人物の尺度によって行動してしまった。「***したい人」がいるはずだというバイアスにノコノコと付いて行ってしまった。一言で言えば、おせっかい。

「***したい人」というのは私が創りだした幻想。そんな存在はどこにもいない。「コストは安いほうがいいはず」というバイアス。安いほうがいいだろうなぁ、という考えは私の妄想。私の尺度でしかない。どの程度の金額が安いのかは、幻想の生産者である「私」が決定する。相手方ではない。

その点に問題がある。データをデータとして見る、歪みなくモノを見られる人物になりたい。歪みのオンオフを使い分けられるように。