駄文をつらねるウェブログ

駄文・乱文・残滓

たまにこのブログを読み返すのだけど、なかなかおもしろい

あふれだした熱意や、こぼれおちた失意が、このブログには静かに転がっていて、たまに拾ってみると懐かしく感じる。転がっている記事たちは、あきらかに僕が残した足跡だし、愛着がある。

「こんなこと思っていたっけ」と思う記事もあるし、「今も思っているよ」と思う記事もある。今の悩みに答えてくれる記事だってある。記録してそれを読み返すことってとても重要なんだなと今になって思う。

僕は特に記憶力がない(あるいは記憶する気がない)ので、ここに蓄積されたものが明日無くなってしまったら、記憶ごとなくなってしまいかねない。大切だけど、なくなったらあったことすら忘れてしまうものたちがここには安置されている。

誰のために書くでもない日記、記録というのはこんなにもいいものだったのか。

あなたはあなた

あなたが、感じたものを信じればいい。なぜなら、それ以外にあなたが信じられるものは何もないのだから。あなたは、他人の何がわかるというのだ。他人が見ている世界とあなたが見ている世界は違う。あなたを信じてくれるのは、あなたが唯一なのだ。

だから、堂々と胸を張ろうじゃないか。あなたはあなたにとって代わりのきかない、存在なのだから。

やらかし

ぐぬぬ。また締め切りを守れなかった。

ぐぬぬ。気持ちはずっとそっちを向いているけれども。心理学であったな、そういうの。

気持ちが強いほど行動に移しづらくなるやつ。

ただここで重要なのが、「できない」のではなく「やらない」だけなのだよね。

年は取りたくないものだ

頭が固定観念でギチギチになって、柔軟性がなくなってきたと思ったら、年を取ったせいだと気づいた。 年取ったなんて思えないくらい、人生を楽しんでやる。

今日誤植を出したことだって、僕の人生にとっては瑣末なことで。

ええ、プロジェクトが動かなすぎて嫌気が差しても、明日も僕は生きているわけで。

年を取るわけで。なくなった時間など振り返っている時間などなくて、今を精一杯生きようと。

妙に前向きになった。

おちこむってなんなの?

落ち込んで自責の念に駆られて、自分を責めるってなんなの?ただの自傷行為じゃん?なにが楽しいわけ?この人かわいそうってみて欲しいのか?声かけて欲しいのか?ああ、、自分は劣っているとか、自分は周りより優れているとかどうでもいいんだよね、本当は。大事なのは、なにをしたか、なにをするかであって、比較は意味ないんだよね。思想とか気持ちとかじゃないんだよね。

ああ。思考をゴミ箱にポイしたい。

じゃあ、思想とか気持ちとか捨てられんの?って言われると厳しい。僕は無理だろうな。っていうか、そういうところでしか優位性無いし。あ、また比較してしまった。気持ちなんてなくしていいから、なくなっちゃったっていいから圧倒的効率が欲しいね。

ね、かなでちゃん。

もやもやした

また、鬱屈とした日々を送っている。 もうなにも考えたくないと悲しみを覚えている。はてさて、それはなぜか、こうしたいという思い、こうあるべきという思いばかりが先行し、現実を見ず、理想論だけ掲げて成果を残さない。そんな自分を見つけてしまったので、悲しい。自分だけのストレス解消方法もなく、ただただ苦しい。

良くしたいという思いに、なにかしたいという思いは、一見素敵だが、口先だけだとしたらそれは耳障りだ。

僕には戦略が必要だ。ああ、自分はなんてダメなやつなんだぁとひねくれて自分を慰めている場合ではない。寄り道の余裕はなさそうだ。