駄文をつらねるウェブログ

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銃弾の飛び交う戦場で戦う彼に、正論という正義の刃物を渡した

「あなただからできるんであって、わたしにはむり」

あなたの考えを押し付けないで、と続く。前回(誰のために - 駄文をつらねるウェブログ)、「彼のために」が「自分のために」にいつの間にか変わっているという話をした。今回はその続きにあたる。

冒頭で述べたようなことを面と向かって言われてしまった。許容値を超えてしまったんだろう。私のやってしまったこの過ちこそまさしく余計なお世話と呼ばれるものだった。自分の押し付けだ。そのフェーズでは無かったのだ。

それを察せなかった。その自分が憎い。

「ごめん」と謝った。口を開くと同時に、「そんなことなかった」「あれはあれで良かった」というような返事を期待していた。けれども、返ってきたのは、「ありがとう」だった。卑しい私は、押し付けたということを否定して欲しかったのだ。返事によって私は確信した。本当に余計なお世話だったんだと。感謝こそされど、自分には無理だと距離が置かれた。

銃弾の飛び交う戦場で戦う彼に、正論という正義の刃物(切れ味抜群)を渡してしまったのだ。「こう使えば、銃よりも強いよ」と押し付けたところで「これは無理だ」と拒絶されるのは、火を見るより明らかだった。

「彼のために」と言いながらも、自分が最も得意としているツール・方法論を押し付けていた。これが「最強」だと。本当に彼のためにと思うのなら、他にもたくさん方法はあったはずだ。

最近、上記のようなとても失敗を繰り返す。その都度自分を再発見している。今思えば、そういうことばかり繰り返してきたような気がする。そして孤独を抱え込むのだ。「誰にもわかってもらえない」と。なんて独りよがりなのだろうと私自身も思う。ひどい話だ。

誰かを助ける・手助けするというのは、一方的な教示のような、押し付けではない。もっと複雑なものだ。相手の立場に立たないかぎり、それは単なる押し付けに過ぎない。

nokori.hateblo.jp