悲しみの目で見る我が作品
バリューについて
私は何かと理論や仕組み、方法論が好きでときおり何かにとりつかれたように熱心に調べる。でも、そうではない人のほうが多いらしい。
ある問題を抱えたときに調査するにしたがって、「問題を解決する」という興味が「この解決策おもしろそう」に移っていく。解決策の微細な注意につられてどんどん横道に逸れる。すると、問題を解決するのがとても遅くなる。つらい。
「問題を解決するために使用した理論はこれです!」とドヤ顔しても、問題をそもそも解決できていないという目も当てられない結果になりがち。つらい。
私にとっては、とても価値あることだったが、他者から見た時に全く価値のないことをやっていたことも多い(例:こんな理論を実装しました!!!が、実用性が皆無とか、ユースケースが考えられていないとか。)
上記のことを無くすためには、興味の移り変わりを抑制するしかないのだろうか。集中力の問題だろうか。
「宣言型」で作業を捗らせる
一時、宣言型という方法論を試した。宣言型というのは私が考案した方法で、なかなかに効果的だった。簡単に言うとタイムアタックだ。物事に取り掛かる前に、これからやることをどこかにメモ(Evernoteとか)をする。そしてそのタスクが終わるまでの時間を測る。例えば、「掃除をする」と書いてから、時間を測る。時間が過ぎていくさまをみていると妙な圧迫感があって、作業が捗る。加えて「掃除をする」という時間を測っているという背景が、脇道に逸れることを回避してくれる。計測された時間は記録しておいて、次の参考にしても良い。
割りと、このライフハックは気に入っている。私はTogglというサービスを援用している。
ひさしぶりに「宣言型」をやったら効果てきめんだったのでまた再開しよう。
AHP
AHPという意思決定支援プログラムを作ったが、あまり価値がなかった(魅力的に見えない)ことに気づいてしまった。友人に話しても、説得しないと良さをわかってもらえなかった。それというのも当然で、ユースケース(実際にどのように使ってもらうか?)をまったく考えていなかったからだ。
今は作ったAHPプログラムを目の前に、これはなんの役に立つんだろう?と首をひねっている最中である。苦労して作ったものを、このような目で見るのはやはり複雑な気持ちだ。
今日やったこと
- 幾何平均について調べた
- 数量化理論について調べた
- fluentdについて調べた
- D3.jsについて調べた
- 灰色理論について調べた
- 固有値と固有値ベクトルの求め方について調べた
- key loggerにmouse moveイベントを記録するように調整した
- AHPプログラムをリファクタリングした
- AHPプログラムにグラフ表示機能を追加した
- React.jsについて調べた
- sushi.jsについて調べた
- ECMAScript 6のアロー関数について調べた
- TensorFlowについて記事を読んだ
明日やること
- AHPプログラムのUI設計
- 文章構成