駄文をつらねるウェブログ

駄文・乱文・残滓

打算的な自分に嫌気がさす

上司や取引先と相対するときに、位置関係に気を配ったり、心からほんの少しだけにじみ出た言葉を数千倍にもして表現したり、共感できない話に「そうですよね」とうなずき、「君のためだよ」とささやきながら「ありがとう」という見返りを求めて、承認欲求を満たす。

こんな自分でいいのだろうかと歩みを止め、考えを巡らす横で、同僚はずんずんと進んでいく。慌てて足をもつれさせながら、なんとか足を前に出すと、そこは水たまりで靴の中に水がじわっと気持ち悪い。

そんな全部をひっくるめて大好きだと言ってあげたいけれども。結構ひどいことをしている自分に気づいて開きかけた口が止まる。「あなたがいるから」とそう誰かに言ってもらえなければ死んでしまうんじゃないかと思うことも多い。

きっと自分が自分を認めることができた瞬間、また飛び立てるんだ、伸びることができるんだとそう確信しているけれども、腰は重い。どこに行きたいのかわからない。闇雲に歩いていてもまた同じ地点に戻ってくる。まるで「そんな歩き方じゃだめだよ。」と優しく諭されるかのように。

「上辺ばっかり」という言葉がどこからともなく聞こえてきて、打算的な自分を批判する。人付き合いは損得勘定じゃないと思えど、ひとたびそういう自分の行動に自分で気づいてしまうと批判がとまらない。「なんでそんなことをするんだ」と声がしてくる。

上司に対面で座った同僚が叱られる様子を見て、対面じゃなくて横に座ってよかったと本気で安心している私は、それでいいのだろうか。「対面に座らなきゃいいのに」と呆れや「対面には座りたくない。横に座りたい。この雰囲気はきっと雷が落ちるぞ」と警鐘を鳴らす自分はそれでいいのだろうか。

アドラー心理学」で知ったノウハウを実際に試す自分はなんなのだろうか。うわずみだけをさらっとすくっている自分の中身は空っぽなんだろうか。

言動や行動の裏に隠れている自分を、無理やり見つけ出して、無理やり引きずり出しては自虐という暴力を振るってしまう。私はこの檻から脱したい。