駄文をつらねるウェブログ

駄文・乱文・残滓

相手のことは相手のこと、自分のことは自分のこと

あまり相手に干渉するのはよくないという話

私は「できるかぎり人助けをしたい」「誰かの力になりたい」と強く思っている。その気持ちだけでは誰かの助けになることはできない。一緒に悩んであげることはできても問題を解決することはできない。悔しいことに。悲しいことに。

力になれないと感じたら、すぐさま「わからない」と突っぱねたほうがいいときだってあるんだということをここ数日で知った。自分の許容量を超えてイライラが募っていたときに気づいたことだ。どんな状況でも「がんばる」「気合を入れる」などして、自分のことも他人のこともこなすことなんて絶対にできない。ただの精神論に結果はついてこない。この忙しい社会に必要なのは、自分の許容量を知ったうえで、自分のできることを探すことだ。そう思った。

そして気づいたとき今までの自分の行動を振り返って、悔しくなった。唇を痛いくらいギュッと噛んだし、手の甲を思いきりつねった。当然痛かった。

大量の甘え

私のブログや日記帳には、大量の「甘え」という言葉が出てくる。ある人に、あなたは甘えばかりですねと言われて思い返して気づいた。今年は自分の知らなかったことに気づくことが多い年だ。すべての悲しみや失敗を「甘え」という言葉に集約して思い込むことによって、すべては自分に対して厳しさが足りないのだと反芻する。多分精神医学的には、自分を追い詰めるだけで悪い効果しかなさそうな気がする。「甘え」と対峙して成長してきた身としては、別の方略を探すことはかなり億劫だ。だけれども、「甘え」などという後ろ向きの考えより、前向きとなる新しい考えを見出したほうが建設的なんじゃないかと思っている。

人生迷うこと、気づくことばかりだ。