駄文をつらねるウェブログ

駄文・乱文・残滓

低学年の小学生が書いた文章を読んでいて

あまり準備ができていなかったミーティングがうまくいった。気合を入れた時には大失敗をしがちだけど、気合を入れていなかった今日は成功した。案外肩肘張らないほうがいいかもしれない。

紆余曲折あって、こどもの作文を読む機会があった。「ぼくの好きな給食は、みんなも好きだと思うけど、カレーライスです。」この文章は小学生一年生が書いたものらしい。まったく論理的ではないけれども、かわいらしさを感じてしまうのはなぜだろう。きっと話し言葉に近いからだと思っている。頭のなかに浮かんだ言葉がそのまま書かれている。私が書く文章のように無駄な汎化や特殊化がされていない、個人の言葉だと私は分析する。

低学年の小学生が書いた文章を読んでいて、個人に付随する言葉がたくさんでていることに気づいた。嗜好を表す「好き」とか感情を表す「楽しかった」が多い。よく考えれば当たり前で、語彙が増えていくのはそれぞれ個人やその身の周りの事柄から言葉を覚えていく。言葉が達者になると感情とかそういう記述が薄れてきやすいと思う。

小学生の文章は、とてもほほえましくて好きだ。文章から情景は浮かんでこないけれども、彼らの感情が伝わってくる気がする。ストレートな物言いだからだろう。

ひととおり目を通したあとに、「私たち大人は、感情に言葉という鎧を纏って不自由な生活をしているんじゃないか」と思えてきた。こどものように悠々と無防備に過ごせる日が来て欲しい。そう願う。