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浅薄な人々と深慮ある人々

鬱屈な日は物事を悲観的に捉えるし、元気な日は物事を楽観的に捉える。なんていい加減なのだろう。

ついさっき含蓄ある言葉に出会った。「浅薄な人々は、幸運と境遇を信じ、深慮ある人々は、原因と結果を信じる。」というエマーソンの言葉だ。私はエマーソンの言う前者に当たるだろう。同僚と話すたびに、自分がどんなに希望的観測をしているのか思い知る。「***だったらいいのに」という願望がバイアスとなって私の現実を捻じ曲げる。(余談だが、ATR音素バランス503文に「あらゆる現実をすべて自分のほうへねじ曲げたのだ。」という一節がある)

私は、常々物事を深く洞察したいと考えているが、感情という厄介な代物が現実を捻じ曲げることに辟易としている。何か解決する手段はないものか。まだまだ青二才という証拠か。

このような悩みというのは、うまく表現できる言葉がないから他人と共有するのが難しい。言葉というのは共有する手がかりなのだ。言葉がなければ身体の延長でしか他人と共有できない。

バイアスを自覚し、原因と結果に焦点をより合わせれば、深慮ある人々となれるのだろうか。

d.hatena.ne.jp