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別れは、悲しくて、伝わらない

大切な人が、自分の目の前からいなくなるのは、とても切ない。

今日は、明日の大切な人の送別会に向けて準備を進めていた。「もう会えない」と思うと悲しくなってしまって胸が締め付けられたように苦しい。周りの人たちは思いの外淡々としていた。私が抱いていた、言葉では言い表せない切なさと周りのギャップが不思議に思えた。思いが重なるというのはきっとこういうことなのだろう。たまたま隣にいた人たちは、私よりも付き合いが短かったし、交わした言葉も少なかったんだろう。

私の喋りは、理路整然としていると言われることが多いけれども、気持ちが高ぶるとそういう機能が全く働かなくなることがわかった。単に「いや、本当にすごいんだよ」とか「やばいよ」などとそれだけ聞くと何を言っているのかわからないくらい論理性が破綻する。もう言葉では言い表せないのだ。もしかすると、言い表したくないのかもしれない。言い表した途端、その冷静さが感情を押し殺してしまいそうだから。

感謝を伝えるときは「ありがとう」、不甲斐なさを伝えたいときは「申し訳ない」、後輩へは「よくやってくれてる」。そんなチープでありきたりな言葉をひたすら繰り返す。言葉というのは、使えば使うほど意味が薄くなる。だけど、私にはそれしか残されていない。自分のほんとうの気持ちを伝えたい、感謝の気持ちを伝えたいから、「わかってほしい」と願いながら、相手に縋るように言葉を渡すことしかできない。堪能な言葉で理路整然と話したとしても、きっと気持ちを伝えきれない。言葉で語れない領域を伝えようとしているのだから。

私は情報伝達と関係形成*1の手段として言葉を操ってきた。でも本当に共有したいことは言葉だけでは足りない。気持ちというのは、完全な形で相手に伝わるということはない。だけれども、私達はそこに抗って、希望を見出して、言葉だけでなく身体全体で伝えるのだ。

明日はきっと泣く。今だってなぜか感極まって泣きそうになっているのだから。いや、我慢して、我慢して、泣かないかもしれない。なんでこんなにも悲しいんだろう。その人が死ぬわけでもないのに、なんでだろう。

*1:猿の毛づくろいの系譜にあたる