駄文をつらねるウェブログ

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過去から未来は地続き

毎日があっという間に過ぎていく。そう思った瞬間、それは回顧である。過ぎ去った過去への羨望かもしれない。

人は、その場その場を上手に生きている。状況に合わせて行動できる。それを積み重ねてきたとき、ふとあのとき自分はなんであんなことをしたんだろうと、振り返る。そのときの自分と状況は過ぎ去ったあとで、覚えている状況から、あのときはこう思ったんだ!と意味付けを行う。この意味付けが積み重なって、自分はこういう特性を持っているという自己の一面ができあがってくる。意味付けというのは、自分の中で閉じておらず、他者から「きみは律儀だね!」という風に意味付けられることもある(対人的な自己の一部)。

振り返ることをしないと、それ自体に意味が宿らない。つまり自分が何者かわからない。

自分を語るには、自分を語る言葉を手に入れなければならない。自分を語る言葉を手に入れるには、自分を知ることが必要である。とにかく自分の行為について振り返る。そしてそれを意味づける。意味付けは、こうであってほしいなという願望や、仮説でもいい。それをひたすらに積み上げていけば、自分という人間が見えてくるはずだ。

今の「自分はなんなんだろう?」と思い悩んだら、過去を探るしか方法はない。過去を顧みて、自分という共通項を見つけるしかないのだ。過去から未来を見据えてみよう。未来は過去の延長にある。