NHKにようこそ(漫画版)の委員長の兄みたいに劇的な社会復帰を遂げたい
NHKにようこそ(漫画版)の委員長の兄みたいに劇的な社会復帰を遂げたい。
啓発書を読み始めたのも、それがきっかけだったかもしれない。無力な自分をどうにかしたいともがき苦しんできた。他人にしてみれば大したことはないのだろうけど。結局買った本の一部は読まずにタンスの肥やしになっていて、さらに自分を苦しめる。今もなお、「なんで俺を読まないんだ」と恨めしげにこちらに語りかけてくる。
意思が弱いで済む話なのだろうか。前にも言ったが、いっそ病気として認められたらどんなに楽か。これはどうしようもない甘えであることは承知の上。語るだけ自由なはずだ……。
どうにも悲しい物語を読むと影響されて落ち込んでしまうようだ。センシティブと言うのだろう。そういえば、「びんかんサラリーマン」というフレーズが頭を過ぎったが、それは一体何だったか。たしか撲殺天使ドクロちゃんだったか。
「自信がない」ということを友人に打ち明けると、決まって「あるじゃねーか、俺のほうがねーよ」と返される。「他人の思っている自信がない」なんて私にはわからないのだから、もしかすると「私は自信に満ちあふれている」のかもしれない。ともすれば私が「自信がない」と感じたものは、別物なのだろうか。それを探る方法は持ち合わせていない。きっとアイテムが足りないのだ。「とうぞくのかぎ」とか「さいごのかぎ」とかそういうものが足りないんだろう。いつか時が解決してくれるはずだ。
そのときどきの感情なんて、本人にも誰にもわからない。後になって意味づけしているだけだ。そのときはそうなってしまった、その事実だけが本当だ。
親切な人が親切な行為をすることに比べて、不良の人が親切な行為をすることは、後者のほうが印象がいい。よく恋愛漫画などで、不良で近づきたくない人が雨の中捨てられている犬の世話をしている様子を目撃して、「きゅん」なんてありふれた手法だ。現代でもキャラクタデザインをする上では、ギャップが大切にされている。
私が題名とした「NHKにようこそ(漫画版)の委員長の兄みたいに劇的な社会復帰を遂げたい」という憧れも、所詮ギャップへの当たり前の反応なのかもしれない。結局終着点は、ほとんどの人が日常的に送っている社会生活ができるようになっただけなのだから。委員長の兄は、部屋に篭もりきりの正真正銘の引きこもりであったから、そのどん底からの復帰が、良さげな印象を与えただけの話だ。
だから、結局そこに憧れてはいけないんだろう。彼にできるなら私にもできる、などと根拠の無い手がかりではなく、もっと冷静に、目標:社会復帰を目指すべきなんだろう。でも、まぁ一例としては適切かもしれない。