記録とは何か? 記事を書く以前に、あなたのための記録をつける
つい最近僕が執筆した記事がそれなりに注目されているが、記事の執筆に少し思うところがあった。
記事というのは、調査や経験をもとに執筆した文章で、何らかの意図によって編集されているものだと僕は思っている。何か題材があって、それに意図を加えて編集したものそれが記事だ。
大本になる題材やメモが、生産物である記事の前にあるはずだが、最近自分用に残したメモが見当たらないことに気づいてしまった。残っていたとしても、本当に雑多で数日経ってしまうと役に立たなくなってしまうほどの質のものばかりだった。
誰かのために記事を書くのに、自分のために記事を書いていない。そのドーナツ現象のような現状が、妙に気がかりになった。他人のために書いた文章は自分にとっても読めるものとなっていると思うが、宛名が誰かというだけでちょっとだけ意味合いが変わってしまっているように思う。
たぶん、自分用のメモや備忘録、記事を編集して誰かのための記事へと起こすことが、自分にとっても相手にとっても健全なのではないかと思った。
まとめ
- あとで見返す自分のための記事を書いてストックしようと思った。
- 自愛は重要。