偏見とは、偏った見解のこと。
過去によって現実がねじ曲がってしまう。
あなたは、いつも遅刻ばかりの友人に、あなたが初めてした遅刻を咎められたとき、どう思うだろう。
1.お前が言うなと思う。 2.大変申し訳無いと思う。
「お前が言うなと思う」のは偏った見解だろうか?私には至極当然に見える。しかし、それが一度、「いつも遅刻ばかりの友人」が「友人」になった時どう見えるだろうか?
簡単に言えば、友人があなたの遅刻を咎める様子を、全く知らない人が見たらどう思うだろうか。
「ただ遅刻という過失を咎めている」だけで、不自然さはない。でも、「遅刻をいつもしているお前が言うな」と反論したくなる。
つまり、合理性とは別のベクトル、あなたと友人の間で培ってきた何か(歴史性と表現する)が存在していることになる。
さらに発展させると、私たちの関係は、合理性の他にお互いの間で培うもの(歴史)が含まれていることが示唆される。歴史の一部を取り出して、わかりやすく言えば、信頼とか期待とかそういう言葉が当てはまるだろう。