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〈ドメイン〉を合わせる

スマートフォンがかなり普及した。スマートフォンを使ってアプリを立ち上げて使う機会は多い。

そこで議論されるのはUIやUX。ボタンのレイアウトやボタンを押したときの挙動を考える。

なんでボタンがいるんだ?操作するためだ。なんで操作するんだ?やりたいことを達成するためだ。なんで達成するために操作が必要なんだ?それがアプリの仕様だからだ。

私たちは道具として、スマートフォンを使う。遊びたいから、楽しみたいから、誰かと連絡を取りたいからなど理由は様々だ。

シャベルやスコップ、ハンドソー、歯ブラシだって道具だ。

それらとスマートフォンやコンピュータの間には違いがある。シャベルやスコップは、手に取れば誰でも簡単に使える。スマートフォンはそうではない。なぜか?

私は、スマートフォンを使うためには使い手とスマートフォンドメインを合わせる必要と考えた。ドメインというのは、考えている領域である。たとえば、使い手がメモを取りたいと思っていたら、スマートフォンもアプリを立ち上げてメモが取れる状態にしなければならない。思っていることと道具の状態を合わせることをドメインを合わせると定義しよう。スマートフォンが使いづらいと思うのは、このドメインを合わせるのが大変な作業だからだ。

私たちの会話も似ている。相手の話していることを察しながら、自分も話を繰り出す。ドメインを示し合わせて、互いに調整している。いきなり前提なしに、コンピュータの歴史について勝手に話し始める人はいないだろう。「コンピュータの面白い話があるんだよ」と切り出して相手にドメインを合わせてもらうのが普通だ。

スマートフォンを使うとき、「コンピュータの面白い話があるんだよ」という導入が長すぎる。使い手は、「コンピュータの歴史について話したい」のに、それを話すための長い長ーい前置きをスマートフォンに聞かせてあげる必要がある。「メモを取りたい」のに「ボタンを押して画面をつけて、パスワードを入れて、アプリのアイコンを押して、新規作成ボタンを押す」これでやっとメモを取れるようになる。

余談だが、「メモを取りたい」と思いながら、ボタンを押したらメモアプリが開いたら幸せになれる。だが、それはブレインマシンインターフェースという領域の仕事で、まだその段階にはたどり着けていないようだ。

端的に言えば、やりたいことに対して実現するための手順が多すぎる。一方、掃き掃除をしたいと思えば箒を手に取ればいい。至極単純だ。それがスマートフォンになると手順が多くなる。「座りながら扱えるのがスマートフォンだ」という人もいるかもしれない。しかし、わざわざ足を動かすことが、掃き掃除の手順だとしたらどうだろう。

スマートフォンでは、使い手がスマートフォンの状態を変更する(例:メモ帳を起動して、メモを取れるようにする)。現実では、箒が自分からやってくるわけではないので、使い手が箒を取りに行く。言い換えれば、箒が使い手の状態を変更している。つまり、箒が使い手のドメインを合わせている。

この面倒くさい掃き掃除だが、箒を取りに行くという行為が掃き掃除にとりかかるための準備体操にもなっている点が面白い。

スマートフォンの完全に使い手に自らの設定を委ねきった態度というのは、果たして使い手に優しいと言えるのだろうか?スマートフォンの使い勝手がよくなってほしいという思いを表現するために、ここに問いを作って、脱稿する。