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感動の蓄積

私の好きだったGAという漫画が終わってしまった。打ち切りではない。

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美術を題材にしている点や個性豊かなキャラクターたち、そして漫画の雰囲気がとても好きだった。最終巻を秋葉原で買って、家まで我慢できずに新幹線の中で読んでいた。この漫画は刊行間隔が長く、忘れてしまったGAの世界をページをめくって思い出しながら、のめり込んでいった。最終巻だけあって、盛り上がり方がとても良かった。110ページのシーンは、感動してしまって思わず本を勢いよく閉じてしまった。実は、110ページ以上先にページは残されていのだが、実は数時間ほど時間を開けて読んだ。

読んだ瞬間のあの気持ちをそのままとっておきたかったんだと思う。

感動というのは、徐々に盛り上げてから最後に起こる。良い漫画というのはこの盛り上げ方が本当にうまい。GAを読みながら徐々に世界に引きこまれている感覚を覚えた。少々上から目線のコメントになってしまうが「これが私の読みたかったGAだ」と納得しながら読んでいた。GAという世界を思い出すフェーズと私の知らなかったGAを理解するフェーズが混在していた。GAらしさを感じながら、新刊ゆえの新しいGAが紡がれる。当然ページを進めるたびに、新しいGAに夢中になっていった。そのピークが、110ページだと私は思っている。110ページのセリフを読んだとき、ゾワゾワとした背筋の感覚に包まれて、鳥肌が立った。

きっと、110ページの感動は110ページ以前の積み重ねが生んでいるはずだ。今回取り上げている漫画では、とあるキャラクターが卒業することが予めわかっている(予想出来ている)。だが、結論がわかっていてもその経過はとても楽しい。ページをめくるたびに終わりは「まだかな」と焦れる。でもその一方で、終わりそうになると、「ああ、もう終わってしまう」と名残惜しく感じる。このバランスが絶妙だった。

前提と結論がすべてではなく、経過や蓄積によって得られるもの(感動)が存在する。前提(入学)、結論(卒業)だけではなく、経過(どのように過ごすか)、蓄積(まわりとの関係形成)は存在するのだと改めて思った。

私たちは、便利だと言ってたくさんの道具を使う。調べ物をするためにコンピュータを使わずに図書館で本を探す人を見たら、以前の私なら「コンピュータは便利ですよ」と薦めたかもしれない。でも、その人は図書館で本をめくることを楽しみにしているかもしれない。はたまた、図書館へ行く途中の道を歩くことが好きかもしれない。そう考えると、安易に薦めることはできないと躊躇してしまう。

今主流の便利か便利じゃないかとか、あれがほしいこれもほしいではなくて、どうしたら便利になるかとか、ほしいものの代わりに何か自分で作れないだろうかとか、「経過」とか「蓄積」に今後は着目していきたいと私は思ったし、絶対重要になると踏んでいる。

いつにもまして乱文だけれども、終わりにする。