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ケガと、心のケガ

Twitterで以下のようなツイートを見かけた。非常に痛ましい事故だ。身長が低い子供や盲導犬は満員電車内では気づきづらい。気を付けたいものだ。

犬は足をしきりに舐めていたのだろう。想像するだけで悲しくなる。私たち人もケガをすると、痛んでいる場所が注意がとられがちになる。たとえ振る舞いには出さなくても、気になってしまう。ときには擦って自分の痛みを和らげようとする。盲導犬が自分の足を舐めていたのも痛みを和らげたり、治癒を早めるための施策だろう。

これはもしかすると、「心の傷」も同じなんじゃないかと思った。たとえば大切な人を亡くしたり、自分のことを蔑まれたりしたときときとして、人は落ち込んでしまう。私にしてみれば、「落ち込む」ことは悪い行為だ。何かが原因で落ち込んでいると、その原因に対してではなく、少しずつ「落ち込んでいる」ことに対して罪悪感を感じていた。「落ち込んでいる」ときは「何もしていない」と私は考えていた。でも、上のしきりに傷ついた足を舐める盲導犬の話を聞いて、「落ち込む」ことは必要なのだと気づいた。

落ち込んでいる期間というのは、心の傷を癒やしている期間だ。たとえ、目に見えて落ち込んでいなくても、気は散っているだろう。でもそれは仕方ない。「落ち込む」ことは悪いことだ!と無茶をするよりも、無理をしない程度にやりくりをするしかない。

誰にだって落ち込むことはある。そして、落ち込み方には個人差があるのだ。打たれ弱い人もいるし、打たれ強い人もいる。その中で自分が自分自身にしてあげられることは、落ち込んでいることを認めて、その程度をちゃんと把握して行動することだろう。今の落ち込み具合は、本当に仕事ができないくらいだなと思ったら、仕事を休めばいい(簡単ではかも知れないが)。普段の行動なら大丈夫そうだと思えば、普段通り行動してみればいい。行動していて不調に気づいたら、早めに帰るなどして少しゆっくりしたらいい。

心の傷にも、身体の傷と同様に癒やすための期間が必要なのだ。