ケガと、心のケガ
Twitterで以下のようなツイートを見かけた。非常に痛ましい事故だ。身長が低い子供や盲導犬は満員電車内では気づきづらい。気を付けたいものだ。
【拡散希望】
— ヨナ松@ウルトラギロチンッ (@Y_suzushirO) 2016年2月24日
さっき乗った特急電車に盲導犬を連れた方が乗っておられました。足元の盲導犬はしきりに足を舐めていてオカシイな?と思ってよく見たら爪が折れて血がにじんでいました。満員だったのでおそらく気付かれずに踏まれてしまったのでしょう。みなさん盲導犬がいたらそっと守ってあげて下さい
犬は足をしきりに舐めていたのだろう。想像するだけで悲しくなる。私たち人もケガをすると、痛んでいる場所が注意がとられがちになる。たとえ振る舞いには出さなくても、気になってしまう。ときには擦って自分の痛みを和らげようとする。盲導犬が自分の足を舐めていたのも痛みを和らげたり、治癒を早めるための施策だろう。
これはもしかすると、「心の傷」も同じなんじゃないかと思った。たとえば大切な人を亡くしたり、自分のことを蔑まれたりしたときときとして、人は落ち込んでしまう。私にしてみれば、「落ち込む」ことは悪い行為だ。何かが原因で落ち込んでいると、その原因に対してではなく、少しずつ「落ち込んでいる」ことに対して罪悪感を感じていた。「落ち込んでいる」ときは「何もしていない」と私は考えていた。でも、上のしきりに傷ついた足を舐める盲導犬の話を聞いて、「落ち込む」ことは必要なのだと気づいた。
落ち込んでいる期間というのは、心の傷を癒やしている期間だ。たとえ、目に見えて落ち込んでいなくても、気は散っているだろう。でもそれは仕方ない。「落ち込む」ことは悪いことだ!と無茶をするよりも、無理をしない程度にやりくりをするしかない。
誰にだって落ち込むことはある。そして、落ち込み方には個人差があるのだ。打たれ弱い人もいるし、打たれ強い人もいる。その中で自分が自分自身にしてあげられることは、落ち込んでいることを認めて、その程度をちゃんと把握して行動することだろう。今の落ち込み具合は、本当に仕事ができないくらいだなと思ったら、仕事を休めばいい(簡単ではかも知れないが)。普段の行動なら大丈夫そうだと思えば、普段通り行動してみればいい。行動していて不調に気づいたら、早めに帰るなどして少しゆっくりしたらいい。
心の傷にも、身体の傷と同様に癒やすための期間が必要なのだ。