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自分の心はなぜこんなにも弱い

TL;DR

  • 「やりたい」が「やらなければ」に変化して筆が進まない
  • 運動しろ

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雑記

タイトルがすべて。結局メンタルっていうのはどうしたらいいのか自分でもわからない。それは改善をしてこなかったから、自分の感情に無関心だったから。

大それたことを言うつもりはないが、人生とは自分との対話なのだ。どういうとき自分が笑うのか、悲しいのか、何をしたいのか、目標達成には自分が何をすればいいのか。自分をコントロールする術をひたすらに学んでいく過程なのだ。

自分をコントロールできないのは、自ら考えることを放棄してきたせいだろう。家族との対話の中から形成された、「他者の理想」を追い求めて、「こうあるべき」という遠いばかり見上げている。「ああ、素敵な月だな。あれが他者が望む私の姿だ」と、自分の足元はみない。「今」どうすれば月に行けるのか考えない。ただ、「あ、近づいた。」「遠ざかった」と思うだけだ。しかも見上げながら足元も見ずに。昔からそういう嫌いがあった。ゴールこそ見定めているが、ゴールにたどり着くための短期的な計画が全く無い。

本当に心の底からやりたいこととは何だろうか。楽しいという気持ちを中心にとりかかってはみるが、理想が高く、すぐ義務感に変わる。「ゲームを作りたい」と思ってやり始めても、いつの間にか「ゲームを作らなければならない」に変わっている。私という主体が時間とともに薄れてしまうのだ。おそらく「他者が私に期待するのは何か」を無意識に考えてしまっているのだろう。そしてその理想が現在の私と乖離していることに気づいて気持ちを萎えさせる。

私の脳内には、架空の存在(ペルソナ)がいるようだ。誰もそんなこと言っていないのにも関わらず自分を締め付ける存在。「こうであるべき」と耳元で囁く存在。前にも書いたが、誰も私に何かを求めていないのだ。ただ私がいるだけだ。そして私は何かをしたいと思っているだけだ。私を縛るのは、私だけであって、私の外側ではない。

自分という存在を受け入れられないと、「こう思っている」とか「私はこうだ」とかそういう自尊心がないと、何をやっても罪悪感を感じるようになる。「私はこうであるべき」と思った瞬間目の前で起こっていることに評価が下る。そしてそれは遠い。目の前の自分の成長には目もくれない。

ぐるぐる

ぐるぐるぐるぐる。考えてみたけど、結局運動していないのが悪い。

皮肉

またまた自分いじめ。楽しい(皮肉)。でも結局「ここまで考えている自分偉い」というくそなアピールでしかない。「ねぇねぇ!!!ここまで考えているんだよ、偉いでしょ!?!?」という子供じみたアピール。なんて、気持ち悪い。