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自分の身の回りの距離感

話をしていると、いつの間にか自分の話をしている。それに気づくタイミングで聞き手が急速に興味を失っていくことがわかる(身体の向きや視線の動き方でだいたい把握できる)。

自分を表現するには、自分の身の回りのことを語るしか方法がない。自分を自分だけで語れる人は存在しない。ヒトは周りの環境によって記述される。ヒトは孤独ではない。

だからといって、相手が話していた話題から連想された自分の身の回りのことを話しても、相手はおもしろく感じない。相手の共感を引き出すようなエピソードを話さなければならない。

一種の距離感が重要なのだろう。どのくらい自分の身の回りにあることを話すのか、自分と身の回りのことの距離だ。例えば、体調が良くなった話なのか、うちの犬がお手を覚えた話なのか、ヘアスタイルが決まらなかった話なのか、映画を見た話なのか、それぞれでは距離が大きくことなる。

『フランス人は10着しか服を持たない』という本では、「相手の仕事はむやみに聞くものではない、最近見た映画や本の話をしたほうが良い」と主張している。

その本を読んで、適度に距離のある話をしたほうが良いと思った。言い訳もその一種だ。「実は自転車が盗まれまして……」というのは仕方のないことだが、非常に個人的なことだ。

距離感を大切にしたいと思う。相手が何をしているか分からなくてもきっと会話というのは楽しめる。