駄文をつらねるウェブログ

駄文・乱文・残滓

当たりの本

読書というのは孤独だ。現代では黙読が当たり前だし、他人と本について語り合うことも少ない。本は数えきれないほど出版されているから。

だからこそ、読書は自由だと思う。何を読んでもいいし、どんな感想を抱いてもいい。その自由が、孤独だから許されている。服装のように、誰かに見られることが前提ではないことがいいところだ。

その分、自分にぴったり合った本を探すのは難しい。書店を歩きながら、目についた本を手にとって、目次とあとがきをさらっと読み流すことを繰り返す。装丁がかっこよくても内容がいまいちな本もたくさんあるし、おもしろそうな内容が書かれていてもいざ読み込むと中身がないような本もある。

それでも、直感で手にとった本が宝物になったときは興奮する。さらっと開いてみたら、知らなかったことが簡潔に書かれていて、自分の世界が広がる体験がそこにはある。

最近では、世界が広がる体験をする回数が多くなった。誰に言われたまでもなく、気になった本を手にとってみると、「これが知りたかったんだ」とばかりの内容に驚くことが何度もある。

本に対する審美眼が身についてきたのか。あるいは運がいいのか。当たりを引く機会が多いと、本の読了速度も上げないといけなくなるので、ちょっぴり苦しいのが難点だ。