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しゃべることは、頭だけじゃない、身体もある

これまで生きてきて、私は頭でっかちな人間だという自覚がある。いくつかの自己紹介は、頭でっかちなタイプですがよろしくおねがいしますと締めくくっていた。

頭でっかちというのは、頭のなかでぐーるぐると考えだけを巡らせて行動に移せない。ここ数年でいろんな学びを経て、行動こそがもっとも重要なんだと理解できるようになってきた。だからといって今すぐ行動はできない。少しずつ慣らしていく。

頭の中だけで物事を考えると、希望的観測をしがちだ。合理性を追求する上では、非常に厄介なバイアスである。「きっとこうすればできる」という確信が根拠の無いものだとして、それを他人に告げることは危険だ。「気合でなんとかします」じゃ心許ない。

頭じゃなくて、身体で考えるようにする。

世の中には、論理的な話し方とかクリティカルシンキングとか水平思考とか、頭の中をどうにかしようという本がたくさん出版されている。頭の中こそ人間の高尚な領域だ!と私も思っていた。しかし、ここ最近人間という身体に注目している。

そのきっかけは食事改善だった。数週間ある本にしたがって食事を改善したら、日々の体調が良くなったうえに頭も冴えた。食事なんてお腹が膨れればいいと思っていた。今では、食べるものだけが私たちの身体を作っている、という当然の事実を身を持って体感した。生き物である限り、パフォーマンスを十分に発揮する上では、食事は重要だ。

昔から言語(特に話し言葉)に興味を持っていた。数年前までは論理的に話を構成することが最も重要なことだと信じていた。しかし、『正直シグナル』という本や心理学、ノンバーバルコミュニケーションを学ぶ過程で、それは違うとわかった。論理的に話すことも重要だが、それ以上に身体でどう表現するかが最も重要だと気づいた。

気づいてからは、私は会話を観察するよう心がけた。「私は今相手の方を向いた」「相手がそれに応じてこちらを向いて喋り出した」ということを日常に取り入れた。しばらくすると、自分自身の振る舞いを変えることで相手を多少操作したり、考えが少し読み取れるようになった。観察結果は今後文章にしたい。

私には話す力が少しはあるようで(コミュ力はきっと無い)、他人から褒められたことがある。その自覚はなかったが、そう言われて自覚するようになった。他人に教えるためにも、言語化してまとめたいと思っている。以前は、論理的な構造や言葉の選び方などの言語がすべてだと考えていた。しかし、相槌の打ち方や視線の動かし方、声のトーン、タイミングなどのノンバーバルな部分が重要だったのだ。一年越しに気づいた。この気付きは文章化への第一歩だが、ノンバーバルは何かと文章に起こしづらい。

今日、『たった1日で声まで良くなる話し方の教科書』を読んで気づいた。日常的に操っている「声」にこれまで重要さが潜んでいるとは思いもよらなかった。声のトーンや話す速度を操るだけで印象が違ってくる。私はそれを無意識化で繰り出していたのだと気づくきっかけになった。

頭の良し悪しや思想だけではなくて、身体操作にも目を向けたい。頭を鍛えるのではなく、身体を通じた経験から学ぶと良いのだ。

明日からは、誰よりも意識的に行動しよう。自覚は第一歩なのだ。