駄文をつらねるウェブログ

駄文・乱文・残滓

話のうまさ

人を惹きこむ会話術を身に着けたい。説得力のある話し方は多少身についているけれど、おもしろくて興味を引く会話術はまったくといっていいほど身についていない。友人たちからは、「お前の会話なら意味不明な壺買わされそう」という程度である。友人との雑談との話だから宛てにはならない。

人をもっとワクワクさせるような話し方を身に着けたい。

VC(ベンチャーキャピタル)では、話し方がうまい人間へのバイアスを避けるために(合理性だけで判断するために)面と向かって話し合うよりも書類だけの審査をする場所があるようだ。私も「こいつはしゃべりがうまいから書類審査にしよう」と言われるくらいの実力を身に着けたいものだ。

話す技術というのは、死ぬまで、人間であるかぎりついてまわる。私の代わりにロボットがいろんな事柄を説明してくれることは、ずいぶんと先のことだろう。そのときには、きっと私は死んでいる。だからこそ、私たちには説明するスキルが必要だ。「自分の50%しか話さず、自分の100%が伝わらなかった」なんて落胆しているのは見当違いだ。「自分の120%話して、80%伝わるか伝わらない」のかという世界だ。

私たちい一人ひとりがそれぞれの世界を共有するには、身体と言語でしかあり得ない。身体で表現しなかったこと、言わなかったことは相手に伝わるわけがない。それを忘れないでい続けたい。「なんで察してくれないの?」という独りよがりな問いは、「察して欲しかった」という期待の裏返しであり、無茶振りでしかない。雰囲気を察する文化というのは、悪いものじゃないと思っているが、自分の思いを伝えることに関しては、積極的に表現しないと、納得出来ない結論になったり、トラブルの原因になる。

くどいと思っても、無理に明示的に相手に確認することが重要である。「このメールアドレスの綴りはこうですか?」「こういう場合はどうすればいいですか?上長に確認をとればいいですか?」などと伝えたほうがいい。「まぁいっか」という慢心が悲劇を生む。

先輩から社会人の話を聞いて少しだけまとめてみた。