記憶というのはどこへ行くんだろうか
「昨日見た夢は忘れてしまったけど、それは確かに幸せな夢だったんだ」
忘却してしまった物事でも、私たちはそれを「忘れてしまったこと」を覚えている。覚えていたことを覚えている。このことは、メタ記憶と用語で呼ばれていた気がする。
主題だったはずの内容がすっかり消えてしまっても、そこに付随した、随伴した、感動は、僅かな香りのようにうっすらと残ってくれる。
あのとき「感動したこと」「感銘したこと」は覚えていても、その内容は思い出せず、人に伝えるときに苦労する。「えーっと、すごくおもしろかったんだけど」「ほら、あれに似てて」などと、相手が興味を失わないように必死に思い出そうとする。
「おもしろい」や「感動」などの心の動きは共有することはできない。だから、自分が心動かされた物事を引き合いにして、自分と同じ体験を相手にしてもらうことで、心を共有する。
すっかり忘れてしまったあとに、残ったそのときの気持ちというのは、なかなかに寂しい。だれとも共有できないけれども、心の浮き沈みだけが残っている。とても個人的な感情だけがそこに取り残されている。
頭の中の自分が、「自分の中にしまっておいたほうがいいんじゃないのか?」「無理に掘り起こす必要はないよ」と優しく諭してくれるかのように。
「悲しいことがあったんだ」
「なにがあったんだい?」
「わすれてしまった。 でも、それは本当に悲しいことだったんだ」
「そう。 それは良かったじゃないか」