駄文をつらねるウェブログ

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匿名掲示板とまとめブログとリテラシー

「何がやりたいんだ」

Smart Newsやハッカドール、Gunosyなどと言った各個人に最適なニュースを機械学習によって提供するアプリが流行していて、私たちの生活に取り込まれている。

数カ月前、東京で電車に乗っているときに気づいたことがある。数年前までは会社員とおぼしき男性が新聞を細く畳んで読んでいた光景が失われていた。代わりに、スマートフォンでゲームをしたりニュースアプリを見ている光景を目撃した。一度だけではなく、何度か見たのちに、それが日常的に見られる様子だと知って衝撃を受けた。

テクノロジーというのは、ここまで生活を変えるのかと。ただ、その感動は主題ではない。

私はニュースアプリに恐怖を感じている。ニュースアプリやニュースそのものに対してではなく、その利用のされ方が問題だと思っている。情報源の正しさを見極める力や、行間を読む力などのいわゆるメディアリテラシーというものだ。

この言葉は、聞き飽きたと思うが、今は情報を誰でも好きなように発信できる時代となった。若い人なら、学校教育で習った人も多いだろう。Twitterなどで炎上騒ぎ*1を起こして、「情報発信には気をつけましょう」という勧告が、大学などの各コミュニティで通達されるようになった。

情報発信については、昔から言及されることが多かった気がする。私が問題にしたいのは、「情報受信」のほうだ。情報受信の問題として、東日本大震災で起こった事案を紹介しよう。

地震が起こったタイミングで、あるツイートが大量に拡散された。「倒れてきたラックのせいで、身動きがとれない。近くにいる人は助けてくれ」という内容(詳細についてはこちら糸柳和法とは (イトヤナギカズノリとは) [単語記事] - ニコニコ大百科)だった。おそらく周りの人達は、その人を助けてあげたいがためにリツイートをしたんだろう。わたしもそのうちの一人だった。結局、そのツイートは嘘で、何事もなかった。善意を踏みにじられた気がする一方で、情報源の信頼性をまったく、まったく気にかけなかった自分に嫌気が差した。

例としては特殊な例だけれども、どんな人にも情報は本当に正しいのか、気にしてほしい。当然、電車の中でニュースアプリを開く人たちにも。

私がさらに驚いたのは、ニュースアプリを初めて使ったときだった。てっきり信頼されている情報源(***新聞社のような)から供給された報せを閲覧できると思っていたが、ただの匿名掲示板まとめサイトを閲覧することになったからだ。私はとんでもなく幻滅した。ニュースアプリというよりもキュレーションアプリという名前が適切だとその瞬間思った。

匿名掲示板というのは、個人が情報を保証しないために、個人という社会的制約から離れて気軽に書き込めるし、他人と情報交換ができる。それだけを情報源として使用するのは不適切だと思う。得られた意見を持ち帰って吟味にしたほうがいい。内容の真偽は吟味されずに、話として面白い部分であるとか、会話として成立している部分だけを編集してたものがまとめブログと呼ばれるものだ。

匿名掲示板で書き込まれたものに対しても、注意が必要であるのにそれをさらに編集した、まとめブログで語られた情報は、より警戒が必要であるのは自明だろう。

まとめブログは、ニュースアプリによって日常的に目にする人の数が増えてきている。まとめブログの形式に慣れた人が多いせいか、それを利用した広告が打たれるようになってきた。

見た目は完全にまとめブログで、内容はまとめブログを装った宣伝である。「****を利用した***が話題に」などという安っぽいタイトルが付けられ、内容は匿名掲示板風に複数が掛け合いしている様子が記述される。「***まじやばい」というような肯定だけではなく、「そんなわけないだろ」「は?」などといった否定的な返答が盛り込まれ、リアリティが増している。更にいやらしいのが、掲示板の名前横に表示される時間が工夫されている。情報というのは新しいほど価値が高い。閲覧者がアクセスした時間の一日前を騙るように表示が工夫される。

掛け合いに違和感を感じないかぎり、見極めるのは困難だろう。さらに目安になるのは、引用元の記述の有無だ。匿名掲示板の文章をそのまま利用して特定の人物がコンテンツ化するのはおかしいとして、引用元が掲示板であることを示すリンクを表示するのが慣例になっているからだ。

このような宣伝は、一言で言えば自演だ。あたかも何人かの間で話題になっているようにシナリオを作っている。その寒々しさは、生産数を少なくして「大好評につき、売り切れ」というポップを飾るものと似ている。そうでもしなければ売れない世の中になったのだと、マーケティングを憂う気持ちは私にもあるが、本当にそれが正しいのか疑いの目で見ている。

このように情報の真偽について気にしていないと思いがけない損を被る可能性がある。得られた情報が正しいのか正しくないのか、自分だけではわからなければ、他人に聞いてもいいから、一呼吸ついて一度確かめるように心がけてほしい。

最後に

最後に思いの丈をぶつける。最近、いろんなものが安っぽくなってしまったと私は悲しく感じている。

誰もが喜んで閲覧するようなタイトルをつける。見た目だけはかっこよく見せる。しゃべりや容姿だけは繕う。

とても効果的なのだけど、虚しさを感じてしまう。

人間ってのはこんなに安っぽい、上辺だけのもので左右されてしまうものなのだなぁと改めて感じた。同時に、機械が自動的にマーケティングに効果的な煽り文句を作って、人間の感情や行動を支配する日も近いだろうなと漠然と思った次第である。

*1:本人が自らの非社会的行動を発信してしまったために、周りから非難されて注目を集めること