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駄文・乱文・残滓

変革期

今、私は従来の状態から脱却しかけている。気持ちが上向きになったと同時に、過去への執着が薄れてきたような気がする。

文章に起こすことで考えが整理されたのだろう。これまでは規範を求め、その規範に従っていたが、これからは規範を自ら作り、そこに従うようにしていこう。生きる規範は本当は自らの外側にはない。規範は自らの内側にある。ひとつ前の記事「逃避のメカニズム」にあった記述ではっきりとわかった。マゾヒズムの項目に書かれている。

このところの記事でもよくわかるように、私は依存性が強く、常に助けを求めている。それは他者を規範にしたいという欲求そのものだ。自ら決定できないために、誰かを拠り所にする。度が過ぎると、〈他者〉という幻想を創りだしてそれに規範を求める。規範から外れると、〈他者〉という幻想から攻撃を受ける。自分で自分をいじめる。自虐によって、自ら内包する攻撃性を諌め、自虐によって陶酔感(被虐欲求)を得ていた。

最近やったディグラム診断(木原誠太郎のディグラム診断)では、優柔不断という結果が出た。この優柔不断という性癖も、上述した規範から説明できる。自らの内側に規範が存在しないのだ。だから、いつも規範(基軸)を自分の外側に求めてふらふらといつまでも意思決定ができない。自由に苦しんでいるのだ。

いつまでもそういうわけにはいかない。変革が必要だ。「何をして何を得るのか」自ら決めて歩いていかなければならない。それを本当に親切な友人から教わり、背中を押してもらった。

私の人生を代わりに歩いてくれる人などはいない。私が私の人生を選んで、歩んでいかなければならない。どんな失敗をしても、どんなに失望しても、選択しなければならない。選択しなければ、きっと、自分の意志以外によって私の人生が進んでいってしまうだろう。

すべてには原因がある(因果律が否定されないかぎり)。原因は意志の強さだけじゃない。私がグズなのは、案外身体的な習慣から生まれている。日頃の食事・運動・睡眠・言動。すべてが原因となりうる。

意志というよくわからないものを制御しようと試みるよりも、食事や運動、睡眠など物理的なものを制御すればいいと思うと、少しは気持ちが楽になるのではないか。また、意思決定の迅速さは脳みそを身軽にする(ずっと頭の片隅にあるとパフォーマンスが低下する)。

改善すべき習慣は以外にも近くにある。そしてそれは意外にも手に触れることができる物理的な、身体的なものなのだ。きっと私は私を変えられる。そう信じて。