駄文をつらねるウェブログ

駄文・乱文・残滓

自分への疑問

巧遅は拙速にしかず、ということわざがある。遅くて巧いよりも粗があっても速いほうが良いという意味だ。

頭でっかちでめんどうごとな嫌いな私にとっては、耳の痛くなることわざである。常日頃から思考が遅いせいで、物事に対処できないし、どの程度やればいいのか把握できていない。

物事へのやる気が起きないときは、一文字書いてみるなどの投機的振る舞いをすると、それが契機になって一気に集中できる。取り組みの最中で休憩や小休止するときには、仕組みづくりも効果的だ。次への取り掛かりがスムーズに行くような仕掛けを作っておく。書類を一つにまとめてサインが必要なものを上に並び替えておく行為が例としてあげられる。

こうしてノウハウを語ることができていても、実際できるかどうかは別だ。どうしてそこに差が生まれるのか?

私には人を喜ばせることが信条の友人がいる。その友人が言っていたが「恥を書くことが重要なのだ」と。

若いうちこそ苦労しろということわざもあるが、恥を晒すことに保守的になって、それができない。どんだけ自分が大切なのか。自分はそこまで大切にする必要があるのか。

自分への疑問は一生尽きないだろう。