駄文をつらねるウェブログ

駄文・乱文・残滓

Omnibus

考えないシステムを作りなさい

考えすぎ。考えすぎ。考えすぎ。

条件反射的に行動することがどんなに楽だと。

カレンダーに、予定が書いてなければ予定を入れる。条件式のように簡単なこと。とても気楽。何も考えない。

何かに夢中になった瞬間に、考えることはなくなる。考えなくても筆が進む。

考えなくてもすむシステム・習慣をつくらなければならない。

「あの人」ってどの人? 妄想でしょ

何事も始めが肝心だ。始めに無駄に思考を巡らすと何も進まない。やってみてわかる。でも、それができない。考えすぎると、「あの人は何をもとめてるんだろう」と考えこむ。自分が排除される。

「わたしは何がしたいのか」その問いに私自身答えられないから、あなたに縋る。「あなたは私に何を求めているんですか?」と。

次第に、「あの人は何を求めてるんだろう」という問いが変化する。「あの人」という幻想・妄想が生まれる。あの人のペルソナを考える。「たぶんこういうことを求めているはずだ」と考えを進めるたびにどんどん自分が排除される。

自由という宇宙空間に、基準を求めて「あの人」を妄想する。妄想に耽るあまり、自分という基準は忘れ去られる。

そして、あの人が「あの人」と違った行動をする。つまり「あの人」に裏切られる。憤る。

「あなたのためにやったのに!」と。

みんなという幻想から生みだした孤独に泣く

なんでみんなはうまく生きていけるんだろう。みんなってのは誰だ?みんなという集団の妄想か?みんなというのは、自分以外の集団。あるいは、集団を平均化したペルソナ。集団の中には自分はいない。漏れ出た孤立の存在としての自分。孤独を感じ咽び泣く。自分で自分を集団から自らつまはじいて咽び泣く。自家発電。

「誰か助けて」の裏側

自分で自分を虐めて「なんで虐めるの?」と泣く。「誰か助けて」と助けを乞う。結局そういうことなんだろう。自傷行為に助けを求めているのと一緒。

「誰か助けて」ということばは、「(わたしじゃどうしようもないから、わたし以外の)誰か助けて」なんだろう。わたし以外の誰かに助けを求めている。それがわたしがわたし自身を救う・助けることはできないし、考えられないというメッセージだとしたら、自分でどうにかする気がなかったとしたら、一生助からないし、誰からも見向きされないだろう。

化物語という作品で忍野メメという人が「助けないよ、力を貸すだけ。君が一人で勝手に助かるだけだよ、おじょうちゃん。」と言っていた。

やらなきゃいけないのは自分だということだ。あなたは彼になれないし、彼女にもなれない。人間は本質的に孤独なのかもしれない。